呼び出し音がけたたましく鳴るのと同時に手を伸ばす。
ちょうど午後9時を回ったとこか?名前が電話をしてくるのは、だいたいそのくらいだった。

「よう、今日もサボんなかったな」
「あのねぇ、この仕事押し付けられてから超真面目にやってるつもりですけど」

そういやそうだったとついでに勤続日数を伝えてやると「気絶しそうだ」と名前はため息を隠すこともせず呟いた。

「人を働かせ過ぎでしょ。昔のサラリーマンだってもーちょい休んでたと思う」
「そういう文句は全人類復活させてからいくらでも聞いてやっから」
「何十年後よそれ」

容赦ない文句から始まるやりとりも、軽い挨拶みたいなもんだった。それほどの間、俺たちはこうして何度も通話してることになる。


ロクに顔も出さず惰眠を貪っていたそいつを、あの女記者が引っ張って連れて来た。気球作りには半ば強制的に参加させたが、本格的に名前に仕事を任せたのは油田を探すのにあちこち飛び回っていた時だ。
力仕事ができるわけでも秀でた特技があるわけでもないと宣う名前に与えたのが、俺や龍水が離れてる間にあった出来事やら何やらを拾って報告してもらう役割だった。
電話での連絡や質問なんざ時間を選ばずあちこちから入って来るし名前もそれは分かっているようだったが、なにもしないよか100億倍マシだ。これで記者の溜飲も下がるだろっつう算段が一つ。
実際動けるなら作業行程の調整にちっとは役立つかもしれないというのがもう一つ。

『あれで意外と気付いてんのーあの子は。普段見てないフリしてるだけで。司さんの所にいた時は私の助手してたんだから、それだけは保証します』

俺たちの口車に無理矢理乗せられた形だが、名前の仕事は結果的に今日まで続いている。
船造りが本格的に始まってからは日中名前と行動を共にする機会が多少なりともあった。だから毎晩ご丁寧に報告なんてこともなくなりつつはあったが、離れていると今日みたく夜に電話が鳴る。
名前いわく「なんか誰かさんのせいで身体に染み付いちゃったから」らしい。まさか俺のせいかと問えば、誤魔化しもせず「十中八九あんたのせいだ」と返って来た。それならそうと最初から言いやがれと言葉が出たのは、通話が切られた後だった。回りくどいやりとりは専門外だ。

何かが噛み合わなくなってきたと感じたのはその辺りだった。春先くらいだったか、横で聞き耳立ててたメンタリストに随分楽しげに長電話をしていると笑われて、俺は噛み合わなくなったモノの正体をようやく理解した。
頭の中が急激に冷えていくのとは裏腹に、全身に血液を送るのに必死な心臓の音が耳の奥で響いている。
あいつからの連絡を待つ理由に非合理的な不純物が混ざっていたことに、なんで気付かなかった?

『ねえねえ特別に教えてあげよっか?脈拍と発汗のコントロールテク』

余計なお世話だこの野郎。とっさに出た言葉は悪手中の悪手だったが、もうどうにもならなかった。腹を抱えて笑うゲンに次の日大量の科学工作を押し付けてやったのは言うまでもない。



一通りの報告を済ますと「じゃ」とだけ言ってさっさと受話器を置くのが名前という女だが、今日はどうも様子が違う。
受話器から聞こえる間を持たせるような声に「まだなにかあんのか」と問うた。

「……本当に完成するんだ、船」
「あ゛ぁテメーもこっち来たら実感湧くだろ」

一ヶ月程石神村にいた名前が、こっちに戻って来る。今こうして話してるはずなのにあいつの顔を見るまでの時間が途方もなく長いような気がするのも、俺の大概な脳がバグっちまってる証拠だった。

「絶対無理って思ってたのに。あっという間にできちゃうんだもんなぁ」

無理だなんだと言ってるヒマはない。ありとあらゆる科学の知識と人海戦術駆使して手を動かす。俺ができんのはそのくらいだった。
名前はそれを"つまんない謙遜"と言うが、人間一人にできることなんかたかが知れている。俺だろうと名前だろうと関係ない。船一つ完成させるのも、一人では成し得ないことだ。

「不思議だね。千空がいると、なんでもできるような気がしてくる」
「……いや俺だけでなんでもは無理あんだろ、フツーに考えて」
「気がしてくるって言ってんじゃん。千空だって、みんなといるとなんでもできそうって思えてくるでしょ。だからだよ。千空が私たちを……私なんかのことまで信用するもんだから、そうなるんじゃないの」
「できそうじゃなくてやるっきゃねえんだよバカ。にしても珍しく口数多いじゃねえか。なに企んでやがる?」
「別になにも。そう思ったから言っただけ」

電話越しの、抑揚の少ない声。例えばあの羽京様なら聞こえてくる声色からヤツの感情なんてものを推し量れたりするんだろうか。そんな無意味な雑念に一瞬脳内を占拠されたとしても、開き直っちまえば横に退かすのも容易くなってきて、理屈だけじゃどうにもならないもんの折り合いってのはそうやってつけてくんだと思っていた。

「じゃ、おやすみ」

言い終わると同時に受話器をガン、と置く音が響く。相も変わらず愛想のない切り方しやがる。ガチャ切りすんなってテメーの上司の女記者は言わなかったのか?
これまでクソ真面目に働いて来たのは褒めてやっても良いが、一方的に言いたいことだけ言ってハイさようならってマジで事務連絡かよ。いや事務連絡を頼んだのは誰だ?俺だわ。
仕事もついでの雑談も終わって、あいつは一人で「早起きすんの嫌だな」とかぼやいてるんだろう。人の気も知らねえで呑気なヤツ。こっちは今から完成間近の船体を見たテメーがどんな面してくれんのかまで先読みして考えてるってのに。頼まれてもいねえが。

「あ゛ーークソ……だから嫌なんだよ」

今俺がソッコーでやんなきゃなんねえのは妄想じゃねえっつうのに。少なくとも名前は、名前の仕事を全うしている。
非合理的でトラブルの元凶にもなりうる、厄介かつ面倒な情。
しかし色々と検証してみた結果、邪魔なだけだと放り投げるよりたまに思い出してはしまっとくのを繰り返す方が、どうにも上手く回っちまうらしい。しかも、そんな情だけで何千年も生き続けてきたバカを俺は嫌というほど知っている。
だったら俺も、利用してやるまでだ。

向こうも晴れてるなら、同じような月が帰路につく名前にも見えてるんだろう。
普段は無表情気取ってるテメーでも驚くような唆るもん飽きるほど見せてやっから。
だから明日は寝坊すんなよ。



2020.8.30 『Lovecall From the World』


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